村山うどんの歴史

東京都内で唯一、駅のない市、武蔵村山。
武蔵村山市を含む武蔵野台地は、古くから稲作には適さず、
古人は麦やさつまいもなどを栽培し自給自足の生活を送っていました。
大麦、小麦を換金のために育ててもいました。
小麦を使った料理は多くありますが、そのなかでうどんは根付いていったのです。
畑の中で、村山うどんは産声をあげました。
武蔵村山で生まれたうどん文化が立川、東村山、小平に広がったとも言われています。
うどんの脇には、茹でた小松菜やほうれん草、季節の野菜が添えられ、それらは“糧(かて)”と呼ばれるようになりました。

武蔵村山は、かつて織物の町として栄え、村山大島紬の反物を扱う織屋がたくさんありました。
織おり機があるツボ畑には地方から若い女性が住み込みで働きに来ていました。嫁入り前の大事な娘たちを預かる経営者たちは、
親代わりとして地元の生活習慣や料理を教え、うどん作りはその代表でした。
「嫁に行くなら、うどんが打てなきゃ、しゃ~ね~」と、若い女性はうどん打ちを覚え、
村山に嫁にくることが決まれば嫁入り道具に『伸し板と伸し棒』も持って来ました。

村山周辺では、親戚や知人が集まる冠婚葬祭、盆暮れ正月などのとき、うどんを打ってもてなす風習が今でも根付いています。
艶やかな小麦色で“つるつる”、村山の女性が捏ねて足でよく踏んだうどんはたいへんコシがあるため、よく噛むように“かめかめ”。
『つるつるかめかめ=鶴鶴亀亀』で縁起が良いといわれ、うどんは食されました。